めめんともり

あんまり飲み会とかに頻繁に行く方じゃないのだけど、この前自分としては珍しく飲み会に行った。

その飲み会で知り合いの人と、どうやったらポジティブに考えて行動できるんだろうねえ~なんて暗い話をしていた。すると完全に酔いがまわってハイテンションになってる女の子が絡んできて「ねえ何の話?」と聞いてきた。

「ネガティブな思考にならないようにするにはどうすればいいんだろうね、クヨクヨばっかりしてしまうよ」

「え?だって人間はいずれ死ぬんだよ?クヨクヨしてる時間もったいないじゃん!」

全く迷いなく即答で返ってきた。目がでかくて視線が強かった。その絡んできた子は方便やらを言う子ではなかったので、本気でそう思ってそう言ったんだと思うと面白くてカッコよくて最高にキマってて爆笑してしまった。Twitterで俺がネタで言ってるような文言を現実に真面目な流れで聴くとは思わなかった。

文章に起こすと安易な感じだけど、飲み会の場で力強く放たれた言葉は先輩年寄りの説教よりも啓発書よりも哲学者の格言よりも、なんだか説得力があってエモーショナルだった。

まだネガティブな思考に囚われがちな人間だけれども、どうにか「え?だって死ぬじゃんもったいない、急がなきゃ」って行動できる人間になりたい。人間はいずれ死ぬので。

綺麗なトイレ

やっぱり抗生物質に腹をやられて水が出てくる。

外出先でもおなかが痛くなって、あんまり好きじゃないのだけど外でトイレを借りた。出先は昨年新しく出来たばかりの建物で大変綺麗で、トイレに入ると自動で電気がついた。鏡は大きくて大も小も小さいもの(子ども用?または不自由な人が使いやすいように背が低くされてる?)が備えられていてバリアフリー、匂い汚れもなくて大変清潔だった。

個室に入ると床も汚れてなくて大変気持ちがよく、なんだか良い気持ちのような気がして腰をおろして用を足していたら、あまりに動かなかったためか途中でトイレの電気が消えてしまった。

世界から自分の存在が抹消された気分になった。ここでわざと体を動かすのも負けた気がするのでそのまま動かずに用を足した。

事が済んでトイレットペーパーを取ろうと体を動かしたらセンサーが反応して電気がついた。世界に自分が戻ってきた、別に嬉しくもなかった。

下を見るとビシャビシャに便器は汚かった。幾ら綺麗で新しいトイレでも結局やることは汚い排泄なんだあなあ…と思うと、やたら綺麗なトイレが何かやましいものを隠すために綺麗であるかのような気がしてモヤモヤとした。早く体調を直したい。

あと欲しいモノリストを作ってみました、人間は優しいなあ…という気持ちになりたいので優しくしてみてください。

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ドラえもんの映画

小さいころにドラえもんの映画を観に行った。

実家は結構な田舎町で、映画の見れるイオンみたいな複合施設までは車で1時間半くらいかかった気がする。

僕はそのドラえもんの映画を見に行くのが楽しみで楽しみで、朝6時には起きて顔を洗って歯を磨いてご飯を食べて、親に「いつでもいけるぞ!」ってオーラを漂わせていた。でも親からすると、付き添いでドラえもんの映画を見に行くなんてことに特別な意気込みなんか何もないわけで、ゆっくり起きてご飯を食べて、それなりに身支度をして、のんびりさあ行こうという感じだった。僕はそわそわと急いで急いでとせがんで、あんまりにもゆっくりとした親の動きに不満と焦燥感を覚えていた(僕は焦燥感という単語が好きです)。

たしか土曜日か日曜に行ったので道路がなかなか混んでいて、母親が「映画の上映時間には間に合わないかもね~」なんて言い出した。僕はひどくショックに感じてしまった。僕は楽しみに楽しみにしていた映画をちゃんと初めから見れないのが嫌で嫌で、車の中で「ちゃんと最初から見たかった」「もう帰りたい」「もう行く意味がない」なんて恨み言を言いながら半べそになってしまった。

結局は到着予定時間よりも5分か10分遅れただけで、映画もちょうどOPテーマが流れたくらいで見始めることができた。

大人になってから考えると全く問題ないのだろうけど、楽しみにしていたものが十全に満喫できないという悲しさや不安みたいなものにひどく敏感で、ああ自分は小さい頃から神経質だったんだなあと思っていやな気持になった。

今も映画を見るときには開始15分前には必ず着くようにしているし、チケットもできれば事前予約して真ん中あたりの席を取れるようにしている。

勝手に大きな期待を膨らませておいて、それが叶わないと勝手にひどく落ち込むというどうしようもない性質は全く良くない、どうにかしましょう。

あとドラえもんよりしんちゃんの映画の方が面白い、オトナ帝国は最高。

体調とお気持ち

ここ1週間+4日ぐらいずっと体調が悪い。

一昨日病院に行ったらインフルエンザではなかったのだけれど、扁桃腺が腫れててだるさと熱と喉の痛さに参っていた。1日2日なら大したこともないのだろうけど、10日以上も続くと完全に気が参ってしまって、家に帰ると布団の中でただひたすら無になることしかできなかった。

昨日あたりから処方された薬が効いてきたようで、悪寒やだるさはなくなってきたのだけど、今度は抗生物質に胃腸をやられたらしく、トイレで無限に水が出続ける機械になってしまった。ああ!なんと生きるとは苦痛かな!なんて冷え切ったトイレで嘆いても、トイレットペーパーはただひたすら巻かれているだけで心を開いてはくれなかった。トイレットペーパーは芯のある強いやつだから俺みたいな人間の気持ちわからないのだろう、とても悲しくなった。

小さい頃から体が弱くて、よく保育園や小学校を休んでいた。午前中の朝早くに母親と一緒に総合病院に行ってお薬をもらって、帰ってきたら熱さまシートを張って、気休めにリンゴゼリーとか食べて、寝室だと寂しいから居間に布団を持って来てテレビを見ながら横になる。

10時くらいまで教育テレビでガンコちゃんとかニャッキとかさわやか3組とか、NHKの教育番組を見て具合の悪さを紛らわすんだけど、昼前くらいになると国会中継とか囲碁とかつまらない番組しか無くなって、母親もちゃんと寝なさいとか言ってテレビを消す。すると部屋が急にシンと静かになって、どうしようもない寂しさや焦燥感に襲われて泣き出しそうになった。それを母親に訴えても何にもならなくて、とても心細い気持になりながら寝た記憶がある。

体調が悪くて寝ながら天井を見てたら、そんな小さい頃のことを思い出して非常に気が滅入った。人間は残念なことに生きているので、健康状態によって精神が左右されてしまう、小さい頃から健康だったらもっと快活でポジティブな人間に成れていたかもしれない。早くクソでかくて屈強な黒人になりたい。

始め

最近インプットもアウトプットも乏しい生活をしていてとても虚しい。

そんな風に暮らしていると頭の中身がどんどん空っぽになるような気がして来て、そもそもから殆どなかった自己肯定感は更に無くなっていくし、ただただ時計の針だけが加速度的に進んでいくように感じる。

するとだんだん焦燥感とか自己否定的なとりとめもない事ばかり考えていって、かといって何か気を紛らわせて取り組むような物事も積極性もないし、どんどん気が沈んでいく。

これはいけない、と思ってなにかくだらないことでもいいから始めようと思って、とりあえずはてなブログを始めます。

twitterだとまとまった長い文章を連投する気も起きないし、気まぐれで突飛なつぶやきをしたいからブログとは分けて使いたいなと思う。

目標としてはくだらなくてもつまらなくても毎日、もしできなくても隔日で更新したい。完璧主義で且つ飽き性なのであらゆる物事は3日と持たない性分、別名発達障害なのだけれど、習慣にできればいいなと思う。こう書くことで変な気負いをしないようにハードルを下げている。

 

あと後で欲しいモノリストとか晒して何かメリットを生み出したい、ツイッターを初めてもう7年になるが1円たりとも金になったことがない、そろそろ皆さんにたかっても怒られないと思う、何か恵んでください。

 

という感じで始めます、よろしくお願いします。